昨日は、東関東大震災から3年目の3月11日でした。
私たちの暮らす北杜市では、
防災無線放送により黙祷の呼びかけがありました。
主人は高根町の現場で、
私は小淵沢の工場で、黙祷の時を迎えました。
2011年当時、まだまだ地元でのお仕事のご依頼が少なく
地方遠征のお仕事をしておりました。
主人は、千葉、栃木、茨城などの現場へ行っておりましたが、
震災当日は、たまたま山梨に帰っておりましたので、
不安な時を共に過ごす事ができました。
しかし、下請けのお仕事でご依頼を頂いた
九十九里の海沿いのお家、
お引渡し直後の地震、そして津波と
どうなってしまったのだろうかと、案じておりました。
お施主さんや、
海近くの川のほとりに暮らす施工元請けのご依頼主さん、
建物の被害状況はどうなのだろうか…。
そして、多くの方が大変な思いをされている中で
とても後ろめたい思いにかられながら
お金の心配もありました。
3月11日は、施工代金をお振込頂く期日で、
慢性的財政難が続いていた我が家にとっては、
頂ける事ができないと、かなり辛い状況でした。
ラジオからは、想像を絶するような被害状況が聞こえてきました。
自分たちは、家族そろって山梨にいられて
被害も無く過ごせているだけで十分有難いんだ。
資金繰りは更に苦しくなるけれど、
この先、働ける仕事があれば何とかなる。
そんな風に思い始めていました。
しかし、何と驚いた事に、
元請けの業者さんである、千葉のプレジャーガーデンさん
ご自宅から高台への非難途中に
お振込みの手続きをしてくださっていたのです。
避難途中という大変危険な状況の中での
彼女の責任感と、
私たちへの思いに、
本当に本当に頭が下がりました。
そして、お話は変わりますが
先日の大雪の日、
工場からの脱出経路を確保しようと
夜に雪かきをしていると、
雪深い暗い道を、
スコップをかついで
雪をわけて近づいてくる男性に声をかけられました。
『 大変ですね。大丈夫ですか?』 と。
後日知ったのですが、
我が家から数キロ離れた所でのビニールハウスで農業を営んでいる方で、
雪深い歩行困難な中、何キロも雪を分けて歩き
ハウスの状況を見てこられた帰り道でした。
彼の大型のハウスは、倒壊していました。
そして、他のハウスが倒壊して手つかずのままの時、
彼は早々にハウス撤去再生に向け
懸命に働いている姿を見ました。
大変な状況の中で、
他の人を思いやる事ができる優しく強い心と、
思いを実行できる行動力を持った方がいらっしゃる。
何かと弱虫な自分も、そんな方に近づけるだろうか。
今からでも、
少しづつでも、
優しく強い心を持てるように
なってゆきたいと感じた3月11日でした。